2019年11月10日

スワミ・ヴィヴェーカーナンダとの対話

ようこそ!

シュリー・ラーマクリシュナの弟子で

その意志を継いで現在に至るヴェーダーンタ協会を設立した、

インドの賢者・ヴィヴェーカーナンダのご紹介です。


「スワミ・ヴィヴェーカーナンダとの対話」

シャラト・チャンドラ・チャクラヴァルティ

 弟子=スワミジー、シュリ・ラーマクリシュナはよく、まずカーマ・カーンチャナ(色欲と富)をすてなけれは宗教的自覚に向かって大きく進むことはできない、とおっしゃいました。もしそうなら、家住者はどうなるのでしょうか。彼らの心はこの二つのものに向けられているのでございます。

 スワミジー=その人が家住者であれサンニャーシンであれ、女と金に対する欲望がなくならない限り心は決して神の方には向かない、というのは真実だ。心がこの二つに捕えられている間は真の帰依心、不動心およびシュラッダー(信念)は生まれない、ということは、一つの事実として知っておきたまえ。

 弟子=では家住者はどう致しましょう。どういう道を進んだらよいのでしょうか。

 スワミジー=小さな欲望は満足させ、そしてそれらから永久に卒業してしまうこと、そして大きい欲望は識別によって放棄すること、これが道だ。放棄をしなければ神は絶対に悟ることはできない。たとえブラマーおんみずからが、他の方法をお示しになったとしても!

 弟子=しかし、僧になると直ちに一切のものを放棄することができるものでごさいましょうか。

 スワミジー=サンニャーシンは、少くとも、放棄ができるように努力をしつつあるが、家住者はこの点については、舟がいかりを下している間もかいをこいでいる船頭のようなものだ。快楽への欲望を和らげることなど、できるものではない。「それはますます増長するばかりである」(バガヴァト・ギーター九章一九節一四)

 弟子=なぜでごさいますか。長い間くり返し感覚の対象を楽しんでいたら、遂には、世に倦むときが来るのではないでしょうか。

 スワミジー=何人のひとたちにそういう時がやって来るというのか。たえず感覚の対象に接触していると心は曇って来て、いつまでもそれらからの影響を受けつづけるのだ。放棄が、そして放棄だけが、すべての悟りの真の秘訣(ムラマノトラ)だ。

 弟子=しかし経典の中には、次のような、予言者たちの教えがのっております、「自分の妻や子供たちと共に暮らしつつ五つの感覚器官を制御することはタパスである。自分の欲望を制御し得ている人にとって、その家族に囲まれて暮らすことは、タパシャーのために森の中に隠れるのと同じである」

 スワミジー=家族と共に家庭の中に暮らしながらカーマ・カーンチャナを放棄することのできる人々こそは、ほんとうに恵まれた人々だ! だが、それのできる人たちが何人いるか。

 弟子=しかしそれでは、サンニャーシンたちはどうでこざいますか。彼らのすべてが、色欲と富への執愛をすて切ることができるのでございますか。

 スワミジー=いま言ったように、サンニャーシンは放棄の道程にある。少くとも、目標に向かって戦いを開始したのだ。しかし家住者の方は、女と金を通じてやって来る危険をまだ知らないで、「自己」を悟ろうという努力さえもしていない。これらを棄てるように努力しなければならない、という考えは、まだ彼らの心中には生まれていないのだ。

 弟子=でも努力している者も大勢おります。

 スワミジー=おお、そうとも、そしてそういう人たちは、必ず徐々に放棄するだろう。彼らのカーマ・カーンチャナへの過度の執着は次第に滅るだろう。しかし、「おお、今でなくてもよい! 時が来ればする」などと言いながらぐずぐずしている人々にとっては「自己」自覚は遥かに遠い夢だ。「たった今、真理を悟らせてくれ! 今生において!」――こういうのは英雄の言葉だ。このような英雄たちは、次の瞬間にでも放棄する用意ができている。そして、このような人たちに向かって聖典(ジャーバーラ・ウパニシャッド第三章)はこう言っている。

 「世の空しさを感じたその瞬間に、それをすてて僧の生活に入れ」と。

 弟子=けれどシュリ・ラーマクリシュナはよく、「これらすべての執着は、神にお祈りをすればあのお方のお慈悲によって消える」とおっしゃったのではございませんか。

 スワミジー=そう、たしかにそうだ、「かれ」のお慈悲によって、しかしこのお慈悲を受けることができるためには、人はまず純粋でなければならない――思いにおいて、言葉において、そして行ないにおいて純粋でなければならない。それで始めて、神のお慈悲が下る、というわけなのだ。

 弟子=しかし、自分の思い、言葉、および行ないを支配できる人に何でお慈悲の必要がありましょう。それならかれはかれ自身の努力によって、霊性の道を自分で進むことができるでしょうに!

 スワミジー=主は、悟りのために心魂かたむけて努力している、とご覧になった者に対しては非常にお慈悲ぶかいのだ。しかし、怠けて何の努力もしない者に対しては、お慈悲は決してやって来ないだろう。

 弟子=誰だって善くありたいと望んでおります。それでも心が、何かの不可解な理由によって悪の方に向くのでございます! 誰だって善くありたい、完全でありたい、神を悟りたいと希っているのではございませんか。

 スワミジー=そうありたい、と願っている連中はすでに努力しつつある人々なのだ、と知りたまえ。その努力をつづけて行くなら、神はお慈悲をお与えになる。

 弟子=神の化身たちの歴史を見ますと、非常に放蕩な生活をしていたのに、それでも大した苦労もせず、別に修行も行なわないで神を悟ることのできた人々をよく見出します。この事はどう考えたらよいのでしようか。

 スワミジー=そう、しかし、すでに非常に深い不安感が彼らをおそっていたに違いない。長い間の感覚対象の享楽が、その内部に深い嫌悪感をつくっていたに違いないのだ。平和の欠如が彼らのハートを憔悴させていたことだろう。彼らは心中にこの虚しさを深く感じていて、主のお慈悲につづいてやって来るあの平安がもし得られないならもうこの人生は一瞬間も堪えられない、と思っていたことだろう。それだから神が彼らにご親切だったのだ。この進歩は、彼らの内部で、タマスからサトヴァへと直接に起ったのだ。

 弟子=それでは、道はどんな道であれ、彼らはその道によってほんとうに神を悟ったのだ、と言ってよろしいのでございますね。

 スワミジー=それはそうだとも。だが、同じ館に入るなら、不名誉な裏口から入るより、正面玄関から入った方がよくはないかね。

 弟子=たしかに仰せの通りでございます。しかし、人はお慈悲によってのみ、神を悟ることができるのだ、という点はこれではっきり致しました。

 スワミジー=おお、そうだ。それは人にできることだが、それをする人はほんとうにまれなのだ!

 弟子=自分の感覚器官を制御し、色欲と富を放棄することによって神を悟ろうとする人は自力および自助の説を奉じているのであり、主のおん名をとなえてあのお方に帰依する人は主によってすべての世俗の執着から解き放っていただき、主に導かれて悟りの最高境地に達するのである、というように私には思われますが。

 スワミジー=そうだ。それらは二つの異なった立場だ。前者はジュニャーニたちが奉じ、後者にバクタたちが奉じている。しかし放棄という理想は両者の基調音だ。

 弟子=それは間違いないことでごさいますね! しかしシュリ・ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュはあるとき、私に、神の慈悲には条件がついているはずはない。それに法則など、あるはずがない! もしあったとしたら、もはやそれは慈悲と呼ぶことはできない、恩寵、すなわち慈悲の世界はすべての法則を超えたものでなければならない、とおっしゃいました。

 スワミジー=しかし、ギリシュ・ゴーシュが指している世界にも、われわれが知ることのできない、ある、もっと高い法則がはたらいているに違いないのだ。かれの言葉は実に、発展の最後の段階を示す言葉だ。そこだけが、時間、空間および因果を超えているのだ。しかし、われわれがそこに達したときには、因果の法則も無い処で、一体だれが誰に向かって慈悲ぶかいと言うのか。そこでは礼拝者と礼拝されるもの、瞑想する人と瞑想の対象、知る者と知られる者、すべては一つになるのだもの、――呼びたければそれを恩寵と呼んでもブラフマンと呼んでもよい。すべてたった一つの、純一の実体なのだ!

 弟子=これらの御言葉をあなたから承りまして、スワミジー、私はすべての哲学と宗教(ヴェーダとヴェーダーンタ)のエッセンスを理解することができました。今までは何の意味も分らず、徒らに派手にひびく言葉のまっただ中に生きていたように思われます。(全集五巻)(ma16-01)

日本ヴェーダーンタ協会より転載









posted by 素朴 at 21:33| Comment(0) | ヴェーダーンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月09日

ロンドンよりスピリチュアルメッセージ

ロンドンに住んでいるナタリーさん
のチャネリングメッセージです。
私はそれほど英語が得意でないので
自動翻訳機で翻訳した文章を
載せました。そのことを考慮して
読んでください。
クリシュナのメッセージ
posted by 素朴 at 15:21| Comment(0) | スピリチュアルメッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月28日

スピメ🐾古いは急速に崩壊している

Lisa Marie Wrightさんより

グーグル翻訳です。

古いは急速に崩壊している
多くの浮上/提示
急速な変革が至る所で展開しています。
心を中心に、内向きに焦点を合わせ、すべての抵抗を解放し、ニュートラル(観察vs反応/プロジェクト)を維持すると、より多くの光に固定され、このGlourious Freedom Rideがより優雅に流れるようになり、既に持っているものの発現/定着を優れたものにします 物理的な平面に精力的に作成されました。
私たちは世界の光です
より多くの光が私たちを通過できるようになると、
メインイベント/あらゆる形の豊かな新黄金時代の到来を告げる
スペースを保持し、可能な場所でサポートを提供する
そして、すべてに平和を持ちましょう。
すべては愛の完全性への回帰です
私たちは今までにないほど明るく輝いています...サーフィンを続けてください
アップアップアップウィーゴー
奇跡を期待する
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posted by 素朴 at 10:56| Comment(0) | スピリチュアルメッセージ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月16日

れいわ新選組について


既成の組織(軍-国防婦人会-氏子-隣組-自治会-檀家-会社-
スポーツ団体-学校-政治団体-など)は人間社会にはあります。
わたくしの好む政党れいわ新選組はこの古いエナジーとは
だいぶ違うつながりです。
一人一人が直接的に代表とつながっているのです。
組織でない最低限のつながり
でも、コミュニケーションに
狂いはない。
嫌になったらすぐ選挙で削除していいのです。
れいわ新選組のボランティア・サポーターは自分で考え
実践するので負荷-ストレスは
ありません。
おもんばかる政治への道を歩いています。

政治は身近・気楽に政治
ウィキペディア写真.jpg
ラベル:れいわ新選組
posted by 素朴 at 12:42| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月11日

インドの賢者・ラマナ・マハルシ:心は存在しない。静め方

インドの賢者・ラマナ・マハルシ:
心は存在しない。静め方
音声動画のご案内。




posted by 素朴 at 10:23| Comment(0) | ラマナ・マハルシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ラマナ・マハルシ:世界は観念、あなたの中にある・音声動画

真我探究の聖人
17才で精神世界に深い沈黙の
行に入りました。
ラマナ・マハルシ:世界は観念、あなたの中にある





posted by 素朴 at 10:03| Comment(0) | ラマナ・マハルシ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月27日

My hobby is spiritual

My hobby is spiritual

【ご訪問ありがとうございます。】




「私の趣味はスピリチュアル」

ここではスピリチュアル情報サイトです。
ネット上さまざまな情報に
僕としては振り回されることなく、
居ようとしてます。

なので、読まれる方、お一人お一人も
正しくご自分の判断で読んでくださいね。
僕は気に入った情報を生活ツールと、
とらえています。

そのようにスピリチュアルは明るく、
簡単、ユーモアもあるんですね。
アタマで考えるものでも、
眼に見えるものでもありませんでしょ!?
お客様の幸運を願っています。
よろしくお願いします。管理人

ながいじんせいのみちしるべ♡
中井はるさんと言われた貴婦人の
自宅から始まった
ニッポンのヴェーダーンタ協会。
今はインド人のお坊さんが住まわれています。
若い私がこころ乱れていたころは、
はるさんとの出会いが救いでした。
甘いミルクティーの香りと共に。











レイ・チャンドラン公開チャネリングメッセージ

天と地とつながる瞑想




レイ・チャンドランさんが世界霊性科学者大会に出た模様です。
(2014.10)




CM


手織り品




世界のセレブ達とツーショット! お台場デートはマダム・タッソー東京










マントラ(音)ヤントラ(図)の動画・見るだけで
あなたの波動がアップ! YANTRA MANTRA 





こころのランチ〜マインドのごはん(スピリチュアル)

静止画動画1時間30分









オススメ本







不滅の意識―ラマナ・マハルシとの会話

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◆ことば◆


「生きとし生けるものは、

いつでも幸福であることを願い、

不幸でないことを願っている。

誰にとっても、 そこには

自分自身への至上の愛が見られる。

そして幸福だけがその愛の源なのである。

それゆえ、人間の本性である幸福、

想念のない深い眠りのなかで体験される

幸福を手に入れるためには、

人は自分自身を知らなければならない。


そのためには、 「私は誰か?」

という問いで探求する

知識の道が 最も重要な方法である。」

(ラマナ・マハルシの教えより)



☆とても美しいメロディーです。

Look into No-thing(ラマナさんの静止動画)







posted by 素朴 at 16:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月16日

心の唄・シンガーソングライター ・アルパカ海鳴

のんびり気分が
やって来る
癒し系の
シンガーソングライター ・アルパカ海鳴の
サイト紹介です。

静止画・動画・Oh Happy Day〜ヘイジィーデイジィー


posted by 素朴 at 17:44| Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月29日

2022 年に向けたビッグシフト

国連本部でも
チャネリング会を
した、
世界的チャネラーです。





cm




posted by 素朴 at 19:22| Comment(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月22日

近代現代インドのスーパー聖者

ようこそ!

シュリー・ラーマクリシュナの弟子で

その意志を継いで現在に至るヴェーダーンタ協会を設立した、

インドの賢者・ヴィヴェーカーナンダのご紹介です。


「スワミ・ヴィヴェーカーナンダとの対話」

シャラト・チャンドラ・チャクラヴァルティ

 弟子=スワミジー、シュリ・ラーマクリシュナはよく、まずカーマ・カーンチャナ(色欲と富)をすてなけれは宗教的自覚に向かって大きく進むことはできない、とおっしゃいました。もしそうなら、家住者はどうなるのでしょうか。彼らの心はこの二つのものに向けられているのでございます。

 スワミジー=その人が家住者であれサンニャーシンであれ、女と金に対する欲望がなくならない限り心は決して神の方には向かない、というのは真実だ。心がこの二つに捕えられている間は真の帰依心、不動心およびシュラッダー(信念)は生まれない、ということは、一つの事実として知っておきたまえ。

 弟子=では家住者はどう致しましょう。どういう道を進んだらよいのでしょうか。

 スワミジー=小さな欲望は満足させ、そしてそれらから永久に卒業してしまうこと、そして大きい欲望は識別によって放棄すること、これが道だ。放棄をしなければ神は絶対に悟ることはできない。たとえブラマーおんみずからが、他の方法をお示しになったとしても!

 弟子=しかし、僧になると直ちに一切のものを放棄することができるものでごさいましょうか。

 スワミジー=サンニャーシンは、少くとも、放棄ができるように努力をしつつあるが、家住者はこの点については、舟がいかりを下している間もかいをこいでいる船頭のようなものだ。快楽への欲望を和らげることなど、できるものではない。「それはますます増長するばかりである」(バガヴァト・ギーター九章一九節一四)

 弟子=なぜでごさいますか。長い間くり返し感覚の対象を楽しんでいたら、遂には、世に倦むときが来るのではないでしょうか。

 スワミジー=何人のひとたちにそういう時がやって来るというのか。たえず感覚の対象に接触していると心は曇って来て、いつまでもそれらからの影響を受けつづけるのだ。放棄が、そして放棄だけが、すべての悟りの真の秘訣(ムラマノトラ)だ。

 弟子=しかし経典の中には、次のような、予言者たちの教えがのっております、「自分の妻や子供たちと共に暮らしつつ五つの感覚器官を制御することはタパスである。自分の欲望を制御し得ている人にとって、その家族に囲まれて暮らすことは、タパシャーのために森の中に隠れるのと同じである」

 スワミジー=家族と共に家庭の中に暮らしながらカーマ・カーンチャナを放棄することのできる人々こそは、ほんとうに恵まれた人々だ! だが、それのできる人たちが何人いるか。

 弟子=しかしそれでは、サンニャーシンたちはどうでこざいますか。彼らのすべてが、色欲と富への執愛をすて切ることができるのでございますか。

 スワミジー=いま言ったように、サンニャーシンは放棄の道程にある。少くとも、目標に向かって戦いを開始したのだ。しかし家住者の方は、女と金を通じてやって来る危険をまだ知らないで、「自己」を悟ろうという努力さえもしていない。これらを棄てるように努力しなければならない、という考えは、まだ彼らの心中には生まれていないのだ。

 弟子=でも努力している者も大勢おります。

 スワミジー=おお、そうとも、そしてそういう人たちは、必ず徐々に放棄するだろう。彼らのカーマ・カーンチャナへの過度の執着は次第に滅るだろう。しかし、「おお、今でなくてもよい! 時が来ればする」などと言いながらぐずぐずしている人々にとっては「自己」自覚は遥かに遠い夢だ。「たった今、真理を悟らせてくれ! 今生において!」――こういうのは英雄の言葉だ。このような英雄たちは、次の瞬間にでも放棄する用意ができている。そして、このような人たちに向かって聖典(ジャーバーラ・ウパニシャッド第三章)はこう言っている。

 「世の空しさを感じたその瞬間に、それをすてて僧の生活に入れ」と。

 弟子=けれどシュリ・ラーマクリシュナはよく、「これらすべての執着は、神にお祈りをすればあのお方のお慈悲によって消える」とおっしゃったのではございませんか。

 スワミジー=そう、たしかにそうだ、「かれ」のお慈悲によって、しかしこのお慈悲を受けることができるためには、人はまず純粋でなければならない――思いにおいて、言葉において、そして行ないにおいて純粋でなければならない。それで始めて、神のお慈悲が下る、というわけなのだ。

 弟子=しかし、自分の思い、言葉、および行ないを支配できる人に何でお慈悲の必要がありましょう。それならかれはかれ自身の努力によって、霊性の道を自分で進むことができるでしょうに!

 スワミジー=主は、悟りのために心魂かたむけて努力している、とご覧になった者に対しては非常にお慈悲ぶかいのだ。しかし、怠けて何の努力もしない者に対しては、お慈悲は決してやって来ないだろう。

 弟子=誰だって善くありたいと望んでおります。それでも心が、何かの不可解な理由によって悪の方に向くのでございます! 誰だって善くありたい、完全でありたい、神を悟りたいと希っているのではございませんか。

 スワミジー=そうありたい、と願っている連中はすでに努力しつつある人々なのだ、と知りたまえ。その努力をつづけて行くなら、神はお慈悲をお与えになる。

 弟子=神の化身たちの歴史を見ますと、非常に放蕩な生活をしていたのに、それでも大した苦労もせず、別に修行も行なわないで神を悟ることのできた人々をよく見出します。この事はどう考えたらよいのでしようか。

 スワミジー=そう、しかし、すでに非常に深い不安感が彼らをおそっていたに違いない。長い間の感覚対象の享楽が、その内部に深い嫌悪感をつくっていたに違いないのだ。平和の欠如が彼らのハートを憔悴させていたことだろう。彼らは心中にこの虚しさを深く感じていて、主のお慈悲につづいてやって来るあの平安がもし得られないならもうこの人生は一瞬間も堪えられない、と思っていたことだろう。それだから神が彼らにご親切だったのだ。この進歩は、彼らの内部で、タマスからサトヴァへと直接に起ったのだ。

 弟子=それでは、道はどんな道であれ、彼らはその道によってほんとうに神を悟ったのだ、と言ってよろしいのでございますね。

 スワミジー=それはそうだとも。だが、同じ館に入るなら、不名誉な裏口から入るより、正面玄関から入った方がよくはないかね。

 弟子=たしかに仰せの通りでございます。しかし、人はお慈悲によってのみ、神を悟ることができるのだ、という点はこれではっきり致しました。

 スワミジー=おお、そうだ。それは人にできることだが、それをする人はほんとうにまれなのだ!

 弟子=自分の感覚器官を制御し、色欲と富を放棄することによって神を悟ろうとする人は自力および自助の説を奉じているのであり、主のおん名をとなえてあのお方に帰依する人は主によってすべての世俗の執着から解き放っていただき、主に導かれて悟りの最高境地に達するのである、というように私には思われますが。

 スワミジー=そうだ。それらは二つの異なった立場だ。前者はジュニャーニたちが奉じ、後者にバクタたちが奉じている。しかし放棄という理想は両者の基調音だ。

 弟子=それは間違いないことでごさいますね! しかしシュリ・ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュはあるとき、私に、神の慈悲には条件がついているはずはない。それに法則など、あるはずがない! もしあったとしたら、もはやそれは慈悲と呼ぶことはできない、恩寵、すなわち慈悲の世界はすべての法則を超えたものでなければならない、とおっしゃいました。

 スワミジー=しかし、ギリシュ・ゴーシュが指している世界にも、われわれが知ることのできない、ある、もっと高い法則がはたらいているに違いないのだ。かれの言葉は実に、発展の最後の段階を示す言葉だ。そこだけが、時間、空間および因果を超えているのだ。しかし、われわれがそこに達したときには、因果の法則も無い処で、一体だれが誰に向かって慈悲ぶかいと言うのか。そこでは礼拝者と礼拝されるもの、瞑想する人と瞑想の対象、知る者と知られる者、すべては一つになるのだもの、――呼びたければそれを恩寵と呼んでもブラフマンと呼んでもよい。すべてたった一つの、純一の実体なのだ!

 弟子=これらの御言葉をあなたから承りまして、スワミジー、私はすべての哲学と宗教(ヴェーダとヴェーダーンタ)のエッセンスを理解することができました。今までは何の意味も分らず、徒らに派手にひびく言葉のまっただ中に生きていたように思われます。(全集五巻)(ma16-01)

日本ヴェーダーンタ協会より転載










posted by 素朴 at 18:26| Comment(0) | ヴェーダーンタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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